THE VOLVO
LIFE JOURNAL

スウェーデンの犬文化とヘラジカ猟 2021/11/10

犬も歩けば森に当たる! 藤田りか子の“北欧”犬通信 vol.7

イェムトフンド

イェムトフンド。スウェーデンを代表する国犬種。ヘラジカ猟に使われる生粋の猟犬だ。



狩猟犬の活躍に基づくスウェーデンの犬文化

スウェーデンの夏はあっという間に過ぎ去ります。「もう終わりかぁ〜」とその気配を感じ一瞬メランコリックになるものの、秋が来たら来たでそれもまた決して悪くはないのです。森を歩いても付きまとってうるさい蚊やアブもいないし、犬につくダニも減り。庭の芝刈りもほとんどしないで済む…。そして9月から11月にかけての時期はとくに我々のような狩猟犬と暮らす者にとって、夏にはない別のワクワクが待ち受けています。猟が解禁となり、これまでの犬のトレーニング成果を試すことができる。猟犬の本番活躍の幕開けとなります。



鳥を回収するラブラドール・レトリーバーのアシカ

鳥を回収するラブラドール・レトリーバーのアシカ。秋になるとカッレとウズラ撃ちに出かける。アシカはなくてはならない存在だ。



スウェーデンでは趣味としてのドッグスポーツが非常に盛んです。ドッグスポーツというのは、トレーニングを通して様々な技能を犬に教え、それを披露して競うスポーツです。ご存知アジリティやノーズワークもその一つです。盛んであるその根底には狩猟文化に培われた狩猟犬とのつきあいがもともとあるからではないかと思っています。その証拠に、スウェーデンにはたくさんの狩猟犬種と狩猟犬がケネルクラブに登録されています。実猟に使われる犬種は、ダックスフンド、ラブラドール・レトリーバーからスウェーデンの国犬種イェムとフンドなどおよそ100種。狩猟犬の性能を審査するテストやトライアル(実猟競技会)の開催も盛んで、年に約4,000競技が開催され、出場する犬は年にのべ50,000頭にものぼります。



スウェーデン人のこころ、ヘラジカ猟



ヘラジカ

スウェーデンでは森の王と呼ばれるヘラジカ



そう森と湖の国ならでは、スウェーデンは実は狩猟王国でもあるのですね。狩猟人口はおよそ30万人。人口の3%が狩猟免許を持っています。狩猟家の割合の高さはヨーロッパではフィンランドに次ぐ第2位(ちなみに日本は約0.16%、ドイツで0.4%)。多くの人が森にサマーコテージを持つという話を以前しましたが、狩猟も同じ動機によるものです。どんなにテクノロジーの恩恵を受けていても、スウェーデン人は自然と密接につながることを決して忘れようとはしません。コテージや狩猟はその手段の一つでもあります。

数ある狩猟の中でもスウェーデンの猟といえばやはりヘラジカ猟。年間9万頭が狩られます。ヘラジカとはスカンジナビア諸国からシベリア一帯に生息する馬ほどの大きさの巨大シカです。スウェーデンのアイコンにもなっており、ストックホルムのお土産屋でヘラジカ・モチーフを扱ったグッズを見かけた方もいることでしょう。

ヘラジカ猟はスウェーデン人にとって特別な行事として位置づけられています。解禁日は地方によって異なりますがその日はちょっとした興奮が人々の間に漂っています。新聞のトップはヘラジカ猟の始まりを伝える見出しで飾られます。もちろん解禁日に仕事を休んで猟にでるなんて当たり前。それについて文句を言う上司もいない、いえ、上司すら猟にでている可能性があります。



強い狩猟倫理と狩猟犬

スイスと並ぶ世界一の動物福祉国として知られているだけに、スウェーデンが狩猟王国でもある、というのは矛盾しているように聞こえるかもしれません。しかし、スウェーデンの狩猟は倫理に基づき非常に厳しく規制された形で行われています。そのおかげで大多数の一般市民が狩猟に対して深い理解を示しています。3年前の統計ですが狩猟をポジティブに受け入れているというスウェーデン人は全体の89%。狩猟への寛容度は世界一とも言われています。

倫理的な狩猟をするために大きく貢献しているのは、実は狩猟犬です。狩猟犬はハンターのために獲物を探し出すという役割の他に、手負いにしてしまった動物(=撃ったものの怪我を負って逃げてしまった動物)をその鋭い嗅覚で探すという大事な任務も果たします。手負いにした動物をそのまま山や森に逃したままにしておくのは動物を必要以上に苦しめるという倫理的理由により、スウェーデンでは違法となります。必ず探し当てて仕留めること。森からの恵みを大切にしたいという古来の人々の思いを垣間見ることができます。

よって狩猟をするのであれば、手負いの動物を探す訓練を受けた犬を同伴する決まりがあります。私も愛犬のアシカに手負いのヘラジカを追わせるというトレーニングを入れています(どんな犬でもトレーニングできるのですよ!)。ただしアシカの専門は鳥猟における手負い追跡犬。何しろラブラドール・レトリーバー。歴史的には水猟の回収犬種です。傷ついたカモやキジを探し回収します。



イヌの追い出しをひたすら待ちながら



パスで待つ様子

パスで待つ。ひたすら待つ。とても寒いのだけど、自然と一体となる素敵な体験でもある。



ヘラジカ猟は10-30人ほどで成り立つチームで行う狩猟ですが、一旦森に入ると一人一人がスウェーデン語でパスと呼ばれる持ち場で待機します。ヘラジカを探す狩猟犬を伴ったドッグハンドラー(犬の指導手)は犬といっしょに唯一森を歩き回ります。犬に追われたシカがたまたま自分のパス近辺に現れたら(そしてそれが適切な個体であれば)撃ってもよいことになっています。ところでスウェーデンにはヘラジカ猟に伴う特別の狩猟犬種がいます。それが前出したイェムトフンドなのです。立ち耳で巻尾。ちょっと日本犬風ですね。行動や狩猟性能も狩猟をする日本犬とよく似ています。



イェムトフンド

イェムトフンドはスウェーデンではもっとも人気のある犬種の一種。それほどヘラジカ猟がさかんでもあることも物語っている。



誰が何をやっているか、犬とドッグハンドラーがどこにいるか、獲物がどこに走っていったか、などは、皆が無線を持って連絡し合い、そうすることで事故も防いでいます。パスによってはシカの出る確率が高いもの低いものがあり、誰がどの持ち場につくのかはくじ引き(各パスには番号がついています)で決まります。さすがスウェーデン、民主的です。特別なゲストがいる場合は、その人に一等席を譲ることもあります。

私は狩猟免許を持っていませんが、ヘラジカ猟には何度もパートナーのカッレと同行したことがあります。ヘラジカ猟の面白さは、猟そのものではありません。ひたすら待つこと、にあると思います。ヘラジカ猟では同じ場所に1〜2時間座って待つなんてざらです。犬の散歩のために森には毎日入っていますが、パスでじっとしながら自然の中に身をおく、というのは散歩では得られない森体験でもあります。歩いていれば自分や犬たちの足音によってかき消されてしまうはずの静寂さや空気の透明さをパスでは感じとることができる… 時間がまるで止まっているよう。心は清められます。



森



そして座っている間はいつ猟犬の吠え声が遠くから聞こえてくるか、今か今かと耳をすませるものです。犬の声を楽しむのも猟の一つ。犬はヘラジカにいよいよ接近すると鳴き始めます。鳴いていたとおもったら、急に静かになる。黙っているときは犬がシカを追っている証拠です。そしてまた鳴き声が。それがどんどんこちらに近づいてくる。もしかしてヘラジカと犬がもうすぐ視界に現れるかもしれない…ドキドキの瞬間。犬はシカを襲うことはありません。羊を駆る牧羊犬のようにシカにまとわりつき、吠えながら動きをとめておくだけ。そうすることでハンターに撃つチャンスを与えます。

とはいえ、チャンスがやってくることはほとんどありません。私が同行した経験でもいっしょにいたハンターが撃ったというのはこれまでで一度きり。ヘラジカ猟に何十回と参加したハンターでも撃ったことがあるのは1回とか2回、あるいは皆無という人もいます。それでも皆、狩猟をしに森に入るのです。撃つことはメインではないのですね。自然の中に身をおき任せる、犬の鳴き声を聞いて働きを見て楽しむ、そして仲間と焚き火を囲んでフィーカをする、そして仕留めた獲物のお肉を皆で山分けに。これら全てを含めたものがヘラジカ猟というイベントなのです。スウェーデン、そしてスウェーデン人の自然観やメンタリティを理解する上で大事な文化だとも思っています。



狩猟の間の休憩時間

狩猟の間の休憩時間。焚き火をかこみ、フィーカを楽しむ。フィーカなしにヘラジカ猟はない。



藤田りか子

藤田りか子

ドッグ・ライター、犬学セミナー講師。スウェーデン・ヴェルムランド県の森の奥、一軒家にてカーリーコーテッド・レトリーバーのラッコとラブラドール・レトリーバーのアシカと住む。人生の半分スウェーデン暮らし。趣味はドッグスポーツ。ノーズワークとガンドッグ・フィールド・トライアルのコンペティター。アメリカ・オレゴン州立大学を経てスウェーデン農業科学大学野生動物管理学部卒業。生物学修士(M.Sc)。犬のブログサイト「犬曰く」運営者。主な著書に「最新世界の犬種大図鑑」(誠文堂新光社)など。



文と写真:藤田りか子