THE VOLVO
LIFE JOURNAL

ONITSUKA MIYABI × VOLVO C40 2022/08/26

NEW CHALLENGE with VOLVO vol.3 鬼塚雅

鬼塚雅



2030年までに、発売するクルマを100%電気自動車にする。そんなチャレンジングな表明をし、スウェーデンの自動車ブランドとして挑戦をし続けるボルボ。今回ボルボ初のEV専用車・C40のハンドルを握るのはスノーボード選手として世界へ挑み続ける鬼塚雅。体感を研ぎ澄ましトレーニングを重ねる彼女は、C40に何を感じたのか。



鬼塚雅

鬼塚雅

1998年生まれ。熊本県出身。5歳からスノーボードを始める。16歳で出場した15年世界選手権のスロープスタイルで史上最年少優勝。21年大会はビッグエアで3位。今年の冬季北京オリンピックではスノーボードのスロープスタイルとビッグエアの2種目に出場



身体の意図とリンクする電気自動車のリアクション



volvoを運転する鬼塚雅



―電気自動車の運転は初めてということでしたが、いかがでしたか?



鬼塚
乗り心地が本当に良かったです。EVだからエンジン音もなく静かなのに、アクセルを踏み込んだ瞬間に一気に加速するあのスピード感、パワーはとても魅力的でした。


―アクセルとブレーキをアクセルペダルだけでコントロールできる、ワンペダルドライブを特に気に入られていたように思いました。



鬼塚
自分のクルマを運転しているときは、いつもG(重力加速度)がなるべくかからないようスムーズで優しい運転を目指しているんです。特にブレーキを踏む時に同乗者に負担がかからないように、力加減を調整するあの感じが好きなんですよね。ワンペダルドライブだと、アクセルとブレーキでペダルを踏み替える必要なく、その部分の調整が足先の力加減でとてもスムーズにできるので、正直あの感覚にハマってしまいました(笑)。


―スノーボードを操る感覚とクルマを運転する感覚で共通点はあったりするのでしょうか。



鬼塚
滑っている時、スピードがどれくらい出ているか体感でだいたいわかるんです。ジャンプする時は速すぎても遅すぎてもダメなので、スピードを板で調整します。本当に繊細な操作が必要なので、〝反応がいい〞板であることが私にとっては重要なんです。なので板の形状や幅など、道具の細かい部分にはすごくこだわっています。今回C40を運転した時に、スノーボードと同じように、自分の身体の動きとクルマの動きが直結している感じがしたんですね。私が意図したものに対して、即座に同じリアクションを返してくれるような感覚。だから運転がとても楽しかったです。私の運転のイメージとすごく合っていました。


―C40にはグーグルアシスタントの機能が搭載されていて、目的地を言うだけでナビのルートを表示できたり、聴きたい曲や歌手を言うだけで好きな音楽をかけられました。



鬼塚
普段は音楽を聴きながら運転することが多いので、グーグルアシスタントはとても助かります。手でいちいち操作する必要なく、声だけで聴きたい曲に変えられるのは嬉しいポイントです。遠征などで長距離運転も多く、山間部にも行くので、ちょっとした不注意が事故につながることもあると思うんです。ハンドル操作に集中できるのは安心ですね。


―海外の遠征では、ボルボを運転する機会もあったそうですね。



鬼塚
はい、ヨーロッパではよく乗りますね。シートの質感というか、ボルボのシートは座り心地が良いなと思っていました。


―今回のC40のシートは本革を使っていない、レザーフリー仕様です。



鬼塚
本革のものと変わらず快適でした。私は犬を飼っているので、レザーフリーというのは本当に嬉しいですね。普段買い物する時も、動物搾取によるものなのか、そうではなくちゃんと配慮されているものなのか、気になってしまいます。あと、スピーカーからの音の配置を自分好みに調整できるのも魅力的でした。先ほども言いましたが、いろいろ細かい部分にこだわる性格なので、自分でカスタマイズできる部分があるのはワクワクします。あとはボディカラーもなかなか見かけない色で、落ち着いた感じのブルーが個人的には好きでした。〝フィヨルドブルー〞と言うんですね。「何色?」って聞かれた時に、カッコいいですよね(笑)。


四年後、さらに八年後夢の舞台への挑戦は続く



鬼塚雅



―今年の二月にはスロープスタイルとビッグエアの二種目で北京オリンピックに出場されました。結果は残念でしたが、オリンピック後はどのように過ごされていましたか。



鬼塚
今回のオリンピックは金メダルを獲ることが期待されていたにもかかわらず、メダルを獲得できませんでした。本当にショックな出来事で、なぜメダルに届かなかったのか、今までのやり方を反省して、自分を見つめ直す期間が二カ月くらいあったんです。その期間を抜けて、また新たに練習を始めたところです。


―それではその二カ月間というのは、スノーボードの練習は一切されなかったのでしょうか。



鬼塚
そうですね。はじめの一カ月は、もうベッドから起き上がれなかったです。メンタルのケアを先にしないと何も考えられない状態でした。とりあえず気持ちをリセットすることを第一に考えられるようになってからは、外に出て日本各地に一人で旅行に行きました。


―その旅行で印象に残っている場所はありますか。



鬼塚
石川の「千里浜なぎさドライブウェイ」は思い出深いです。レンタカーで走ったんですけど、海岸線の砂浜が道路になっていて、とてもいい景色で気持ち良かった。他にも国内のいろいろな場所に行って、充実した期間を過ごしてからリスタートしました。


―練習を再開してからまだ数カ月ですが、これまでと練習内容を変えた部分はあるのでしょうか。



鬼塚
はい。コーチと相談しながら、これまでとは全く違う練習メニューを行っています。特に筋トレの量をかなり増やしました。今までは良い時と悪い時の差が大きかったので、安定感を追求していきたいと思っているんです。技のレベルでは自分は世界トップクラスなので、その部分を確実に発揮できるように安定させられたら次こそは金メダルを手にできると思っています。


―先ほど実際にジャンプ台に登って練習を見させてもらいましたが、かなりの高さから急な斜面を滑っていきますよね。しかも本番は硬い雪の上が舞台になるわけで、雪上のスポーツは恐怖心との戦いなのではないかと思うんです。



鬼塚
もちろん恐怖心はあるんですけど、なぜ怖いのか、その理由をひとつひとつ潰していくことが重要です。例えばあるトリックに挑戦する時、怖いなと思ったら低いところから何度も練習していき、できるぞと思う時がくるのを待つ。本当に無理だと思った時はやりません。そういう時は怪我をするので。もちろん完全に恐怖心がなくなる訳ではなくて、〝ある程度〞怖くなくなる感じです。新技を習得すると、一個下の難度の技に対する恐怖は無くなるんです。新しい技には挑み続けるので、常に自分や恐怖心との戦いなのですが。


鬼塚雅とVOLVO C40



―鬼塚選手の練習に対する意識の高さが垣間見えますが、これまでのキャリアで競技に取り組む意識がガラッと変わったターニングポイントはあったのでしょうか。



鬼塚
ターニングポイントというのはあまり考えたことはなくて、それよりも毎回の練習や試合で反省すべき点を見つけたら、すぐに改善して次に向かっていく、ということを大切にしています。そうしなければトップには立ち続けられないと思うので。足りない部分を見つけた瞬間から、新しい挑戦に切り替えていきます。オリンピックが終わった後も、その意識で全て変えていこうと思いました。


―もう次の四年後のオリンピックを見据えていますか。



鬼塚
はい、もう絶対に負けない気持ちでいきます。北京の反省点は、オリンピックも他の大会と一緒だと考えて臨んでしまったことです。でも、違いました。本当は心のどこかでは違うと思っていたのに、一緒だと思い込もうとしていたのが良くなかった。来シーズンはX Gamesやワールドカップが控えていますけど、大会への向き合い方もあらためて考えていきたいと思っています。


―ボルボは2030年までに全車種をEV化するという大きな挑戦を表明しています。2030年というとオリンピックの年ですが、鬼塚さんがその年に向けて実現したいことはありますか?



鬼塚
2030年もオリンピックを目指したいと思っています。三十歳を超えていますが、北京で優勝した選手も三十歳を超えていたので、いけると思います。でもその前に、今年の十一月にはスウェーデンでワールドカップがあるので、まずはそこで良い結果を残したいですね。


PHOTOGRAPHY: KATO JUNPEI TEXT: HIRAKI TERUMASA