THE VOLVO
LIFE JOURNAL

NARASAKI MEICHI × VOLVO C40 2023/01/26

NEW CHALLENGE with VOLVO vol.9 楢﨑明智



2030 年までに全てのクルマをEV にし、2040 年までに全てのオペレーションにおいてカーボンニュートラルを目指す。 そんな挑戦をし続けるボルボ。今回ボルボのEV C40 のハンドルを握るのは、スポーツクライマー楢﨑明智。 日本のクライミング界を牽引し、兄・智亜とのパリ五輪への出場も期待される彼は、C40 から何を感じ取るのだろうか



楢﨑明智

1999年生まれ。栃木県出身。兄である楢﨑智亜の影響でクライミングを始め、幼少期より日本代表に名を連ねる。国内外での好成績を残し、国内最大級コンペ The North Face Cup 2016では最年少優勝を果たす。兄・智亜とのパリ五輪への出場も期待される



まるでガジェットのようなクルマ 電子機器好きの人におすすめ





楢﨑さんは運転することがお好きとのことですが、どんなクルマがお好きなんですか。



楢﨑
大型犬を飼っているし、実はクライミングって結構大きな荷物を積むことが多いんです。例えば自然の岩を登る時にはロープを持っていくこともありますし、ボルダリングをする場合はマットを背負っていくこともあるので、積載量の多い大型車に乗ることが最近は多いです。ただ、本音を言えば僕はセダンの方が好きなんですけどね(笑)。


そうなんですね。ボルボにはどういう印象を持たれていますか。



楢﨑
クルマを購入する際、ボルボがいつも候補に入ってきます。山に強そうなイメージがあるんですよ。だからボルボのクルマは好きです。


そんなボルボの電気自動車であるC40を運転していただいたのですが、いかがでしたか?



楢﨑
これまでずっとガソリン車に乗ってきたので、最初は少し抵抗感のようなものがあって、正直運転しづらいイメージがあったのですが、全くそんなことはなかった。自然に乗りこなすことができたと思います。運転はかなりしやすかったですね。


―C40にはさまざま機能が搭載されていますが、運転をしてみて特に気にった点はありましたか。



楢崎
やはり、右足だけで走行できるワンペダルドライブは画期的だと思いました。慣れるまでは難しさもありギクシャクしましたが、使いこなせるようになったらとても楽ですし、気に入りました。もっと長い時間運転してみたいなと思いました。あと、C40って無駄なボタンのようなものが付いていなくていいですね。インテリアがスタイリッシュでカッコいい。自分的にはスタイリッシュなクルマが好みなので、その点でも気に入りました。


―Google アシスタントなども搭載されていて、どこかガジェットのような感覚もあります。



楢崎
まさに! 本当にガジェットみたい。実は僕、ガジェット大好きなんですよ。パソコンを一から組み立てたり、モニターを集めたりすることが好きで、とにかく電子機器好きなんです。だから電気自動車って僕みたいな人間にぴったりなクルマなのかもしれない。運転できるオモチャを手に入れたような感覚というか、乗った瞬間に新しいタブレット端末を手に入れた時のような興奮を感じました。


―乗る前と乗った後で電気自動車のイメージに変化はありましたか。



楢崎
今日C40に乗るまでは僕にも固定観念のようなものがありました。「運転が楽しくなさそう」とか。でも乗ってみると運転がとても楽しかった。あの加速力を少しでも体験したらクルマ好きなら誰でもクセになると思います。欲を言えば、高速道路も運転してみたかったです。


本当に運転がお好きなんですね。楢﨑さんにとって運転中の時間とはどんな時間なのでしょうか。



楢﨑
運転というかクルマでの移動時間が好きなんです。それには理由があって、電車に乗っている時って景色を楽しめるはずなのにスマホを見たりしてずっと下を見ていることが多いじゃないですか? でもクルマを運転すると当たり前ですけど絶対に前を見るし、景色も楽しむことができると思うんです。頭の中もスッキリするし、考え事もしやすい。だから練習後のリフレッシュにもなるというか、運転は僕の中で重要な時間なんです。


クライマーになった時の夢である世界選手権優勝へ邁進





―幼少期からクライマーとして活躍されていますが、選手を目指すきっかけは何だったのでしょうか。



楢崎
きっかけと言われると難しいですね。強くなりたいという一心でこれまで続けてきていて、その結果が日本代表に繋がっていった感覚なんです。ずっと好きで競技をやっている感じですし、今でもどこか遊び感覚な部分がありますね(笑)。


―兄である智亜さんの影響も大きいのではないですか?



楢崎
それはもちろんです。幼少期からずっと兄について遊んでいました。兄が体操を始めれば僕もやりましたし、兄が体操を辞めてクライミングをすると言えば、僕も始めるという。そうして小学二年生の時からスタートしたクライミングを気づいたら高校卒業まで続けていて、もうプロになれる歳になったのかという感覚でしたね。


―では、智亜さんが始めてなければ、競技を始めていなかった。



楢崎
そうですね。ただ、僕たちがクライミングを始めた背景には実は長男の影響があって。最初にクライミングを始めたのは長男なんです。当時、長男は同じ栃木県出身の安間佐千選手という後に三年間W杯年間ランキングを獲得するような選手と同じジムに通っていて。長男はすぐ辞めてしまったんですが、次男の智亜が体操を辞めるタイミングで、安間選手の活躍が新聞に載っていたんです。その時に長男から「この人は僕と一緒に登っていた人だよ」と教えてもらい、僕たちもクライミングをやってみようかとなった。だから大きなきっかけをくれたのは長男と安間選手なんです。


―そうだったんですね。そこから楢﨑さんはユース世代での大会を経て、国内外の大会で好成績を残していかれますが、競技を続ける中で苦悩や挫折はあったのでしょうか。



楢﨑
やはり東京五輪の選考の時です。代表枠を争う権利を持っていたのに、国際スポーツクライミング連盟が五輪代表選考方法の解釈を変更したことで、挑戦する機会をなくしてしまいました。それまで僕は五輪に出るためにトレーニングを続け、出場枠を得るための大会でも結果を残してきたにもかかわらず、戦う権利を失ったのは本当に悲しかったです。


―そこからの五輪期間中はどのように過ごされたんですか?



楢崎
兄である智亜と義理の姉である野口啓代選手が五輪に出ることになっていたので、二人のサポートに徹しました。それで自分が行けなかったことを考えられないくらい忙しくしていたので、熱中することがあってよかったと思います。二人が頑張っている時に隣に落ち込んでいる人がいたら絶対ダメですよね。だから一緒に頑張ったという感じですね。


―お兄さんも義理のお姉さんもトップ選手というのは非常に稀有な環境ですね。



楢崎
そうですね。でも僕は自分のことをトップだと思ったことはなくて。兄も義姉もすごい選手なので、自分は全然だなと思ってしまう。でもユースの子たちからはすごい選手という目で見られたりもして、そこにギャップを感じていて。それで悩む時期はありました。僕はそんなにすごい選手じゃないのになって。だからそのギャップが難しいというか、葛藤している部分ではありますね。


―その気持ちを解消するためにも今後の世界選手権、そして2024年パリ五輪は重要な大会になってきそうですね。



楢崎
はい。目指すのはそこになってくると思います。ただ五輪のことだけを考えると東京五輪のトラウマみたいなものがあって。もちろん本気でやってはいるんですけど、東京五輪の時ほど夢中になれていない感じがあるので、まずはその前にある世界選手権。僕がクライミングの選手になった時の目標が世界選手権優勝でした。そこで勝ちたいと思っているので、まずはそこに向けて頑張っていきたいと思います。そこで結果を出せば五輪に繋がると思うので。


―そして、2029年にはロス五輪も控えていますが、2030年までの展望を教えてください。



楢崎
ロス五輪はぎりぎり二十代なので出場したいと思いますし、できる限り現役は続けていきたいと思っています。ずっとやっていきたいと思うし、クライミングを広めていく活動ももっとやっていけたらいいなと思います。クライミングが大衆的スポーツになってほしいと思っているんです。普及させるためには選手である僕たちがより積極的に活動していかなければいけないと思っているので、2030年までずっとやり続けていきたいと思っています。


PHOTOGRAPHY: MIZUKAMI SHUNSUKE TEXT: SASATANI SHUNSUKE